この記事では、このブログ「eスポーツ研究所TRY」の管理人の半生を振り返ります。
最終的には「兄がいる家が嫌すぎて京大に受かる」というところまでいきます、たぶん読んでいて面白いと思います。
- 狂ってしまった「元・優等生」の京大生
- 【時系列】どんな子だった?兄へのコンプレックスとゲームの影響
- おわりに
狂ってしまった「元・優等生」の京大生
私を一言で表すとこれになります。
現在、京大に在学中でゲーム中毒者でもあります。元々は「その地域の優等生くん」でしたが、高校・大学を経て何かがおかしくなってしまいました(笑)
ただ、ゲームが原因で狂ったわけではありません。むしろ、ゲームに救われてきた人生だと思っています。少しだけ家庭環境が複雑なのです。
兄が自閉症と学習障害を持っていて、それが影響して私の性格も少しずつ変わっていきました。
※なお、この記事では家族のことを悪く言っているところがありますが、それはあくまで当時の自分の考えです。不愉快に思われることもあるかと存じます。ご理解いただけますと幸いです。
このように兄弟が障がいを持っている人のことを兄弟児と言うそうです。つまり、私は兄弟児京大生ということになります。
・・・?
【時系列】どんな子だった?兄へのコンプレックスとゲームの影響
時系列で私の人生を追体験してみましょう!
<生まれる少し前>障がいを持つ兄が生まれる
3つ年上の兄が生まれる。自閉症と学習障害をもっていた。
当初、両親は「発育が少し遅いだけ」と考えていたようだが、私が生まれる直前(つまり兄が3歳)という母親にとっては難しい時期に、他の子供と違うことに気づいたそうだ。特に言葉と感情表現が苦手だった。
<誕生>ワイ、満を持して誕生。親は発育を心配する
私が生まれます。この時、母は私の発育が健常者と同じか大変心配したようです。
人生初オギャりですね。成人してからオギャると、ストレス解消になります。
小学生の頃の課題に、「自分の母子手帳を親子で見て、生まれてくるときの話を聞いてきなさい」というものがありました。
そのとき、私の様子や発育に関する記述でビッシリと埋め尽くされた母子手帳を見て
「相当心配してたんだな~^^」と感心したのを覚えています。何様だ~?
<幼稚園まで>兄と比べられて「〇〇(私)はできる子だな~」の嵐
両親や親戚は皆、口をそろえてこう言っていた気がします。
兄と比べられてよく褒められていたのです。
このような環境にあるため、自分は全知全能だと思い始めました。自己肯定感が爆発した超自信家の出来上がりです。
※家族が兄をけなしたりすることは一切なかったことに注意。私も兄を見下したりすることはないし、障がいを持っていることに気づいてすらいなかったと思う。
<幼稚園>人生初のゲームはポケモンの「ルビー」と「ファイアレッド」
ゲームをやらない父が、私をトイザらスに連れて行ってくれた。
「SP」と「ルビー」を買ってくれたのを今でも覚えている。なぜ買ってくれたのかは思い出せない。
よく考えると、兄と一緒に遊んだ記憶がない。友達と遊ぶか、一人でゲームをしていた気がする。
兄を嫌いではなかったのに不思議だ。もしかしたら、障がいを持っていて意思の疎通が難しいのを理解していたのかもしれない。
<小学生>兄の障がいがコンプレックスに
ゲームが大好きな子供で、友達と毎日ゲームをして楽しく過ごしていた。(ポケモン・スマブラ・モンハン・ゴッドイーターなどのタイトルが好きだった)
兄とは年の差が3つなので、当然地元の同じ小学校に通うことになる。
そこでつらい経験をした。
・学校で兄がからかわれているのを目にする
・友達を自宅に呼べない(兄が居るため)
・兄が中学に入学すると、家庭では両親同士や親と兄の間での喧嘩が増えた
というものです。この時の感情は経験した者にしかわからない。
自己肯定感が強い(=自分は出来る奴だと思っている)私とは真逆の立場の兄をそこに見ました。
・「人って残酷だなあ」
・「本人(兄)に責任はないのに、能力の低さで馬鹿にされるのか」
・「でも小学生だから、障がいを持つ人を馬鹿にしてしまうのも仕方がない」
・「兄がいなければ、どんな生活だっただろう・・・」
・「でも、私にはどうすることもできない・・・」
こんなことを思っていました。この経験が、中学時代の頭の良い人への強いあこがれへとつながります。
<中学校>挫折 → ゲーム0%・勉強99%・部活1% → 公立トップ高校へ
中学入学して最初の中間テスト、自信たっぷりの私は「上位10位には入るだろうな~」と高をくくっていましたが、結果は130/200位でした。
周囲からよく褒められて育った少年は、ここで人生初の挫折を経験したのです。
と、同時に「俺の上に100人以上いるなんて許せない」と復讐に燃えました。
自己肯定感が、運よく良い方向に働いてくれたわけですね。ここで腐っていくようだったら、今の私は無かっただろうと思います。
そこからはゲーム0%・勉強99%・部活1%の生活になりました。(部活は小学生のころから続けていた野球部。厳しめの顧問に面白い仲間たち。)
「ゲームなんてやってる場合じゃねえ!!」という強迫観念もありましたが
「勉強ってゲームじゃね??」と気づけたのが一番大きかったと思います。
・自分の頭を使って考える
・過去の経験、知識、武器を使って次に進む
・さらに強力な武器を手に入れる
ゲームと勉強はよく似ています。
勉強に取りつかれた私は、空いた時間を見つけるとずっと勉強をしていました。
次のテストから三年間は10/200位は切りませんでした。晴れて、優等生の仲間入りです。
自分の学力が伸びるにつれて、兄を疎ましく思う気持ちが大きくなっていきました。兄の言動やそれに付随する親の言動がストレスになっていたのかも?
自分の中では、「頭の良い人間の対称が兄」だったのかも知れません。今考えると、そんな考えは間違いだとわかるんですけどね…
そんなこんなでがんばった結果、県内トップの公立高校に合格します。
<高校時代> 自由な校風 ✖ 抑えていたゲーム欲 そして浪人へ
「ゲーム中毒者の完成」です。部活には入らず、放課後は友達と遊ぶか帰宅してゲームをやっていました。
校則がゆるく授業中に寝ていても何も言われないので、深夜までゲーム→昼間は学校で睡眠
こんな生活でした。当然、成績は下位1/3くらい。
ちなみに、プレイしていたタイトルは『Battle field 4』
メトロッカー最高!!
3年になると、さすがに勉強を始める。第一志望は東北大学にした。志望校を決める際の基準は「一人暮らしが出来るかどうか」
どうしても兄のいる実家から出ていきたかった
当然こんな志望理由を両親に言えるはずもなく、「〇〇を学びたい」と適当な嘘をついた。
そのとき、こんな会話をしました。
東北大学?ちょっと微妙じゃない(ネームバリュー的な意味で)?実家から東大に通えばいいじゃん。
簡単にいうなよ、京大なら(ネームバリュー)いいでしょ?
うーん・・・、京大なら許してやるか・・・。
父に代わり、東北大学関係者の皆様に無礼を謝罪いたします。申し訳ございません。
(ちなみに、父は一般には、東北大学よりも遥かに”微妙”とされる大学の出身です。何様なのでしょうか…)
つまり、
どうしても家を出て兄から離れたい私
VS
一人暮らしのための金を出したくないが、なるべく有名な大学に行ってほしい父
という対立の中での両者の妥協点が『京大』だったわけです。
なんだか合格することが前提のように話が進んでいますが、高3から勉強を始めて間に合うはずもなく、合格者最低点(この点数を取れば京大に合格する点数)から-40点ほどで落ちます。
<浪人> 再びゲーム断ち → 1年間ゴッリゴリに勉強し京大合格
本当の志望理由を教えていないのに、両親は浪人することを許してくれました。
京大に落ちたら、実家から滑り止めの大学に通うことになります。それはもう必死に勉強しました。
「障がいを持つ兄から逃げたくて京大に行った」なんて志望理由、一生両親には言えません。
だから、この場を借りて自分の思いをこっそりと言葉にしたいと思います。
ありがとう、そしてごめんなさい。
<現在> 授業に出ないゲーマー京大生の出来上がり → 病み → 一年休学
ゲーミングPCを自作し、再びゲーム欲爆発。APEXをはじめとするFPSゲームに心酔。
なんせ、一人暮らしですから他人を気にせずに思いっきり遊べます。だんだんと生活リズムが狂っていき、授業に出なくなります。
ただ、授業に出なくなった一番の原因は
「京大でこれを本気で学びたい!」という理由ではなく、「一人暮らしがしたい!」という訳の分からない理由で京都まで来てしまったから
だと思います。単純に講義内容に興味が湧かなかったんですね。
それが1コマ90分です、私には辛すぎました。
高校生の皆さんに助言ですが、どの大学に行くかではなく自分が何を学びたいかで進路を決めるべきだと思います。
偉そうなこと言ってごめんなさい
「京大は単位が降ってくる」と言われています。あんまり授業に出ていなくても単位は結構取れているので助かりました(笑)。
その後、あまりにもやる気が出ないし目標もないので、一年間休学をすることにしました。
・俺って何のために生きてるんだろう
・周りの学生は何か目的があって人間やっているように見えるのに、俺は…
・京大で本当に勉強したい学生のために用意された席を、なんで俺が1つ取っちゃったんだろう
こんな思いが文字通り一日中頭の中を駆け回っていました。病んじゃってますね(笑)。食欲も減っていって、友人によるとかなり瘦せたそうです。少しずつ家事も出来なくなっていき、少しずつベッドから出られなくなっていきました。
かねてからの目標だった、「APEXのランクマッチにおいて、完全にソロでマスターというランクになる」というのも達成してしまい、驚くことにゲームすらもだんだん億劫に感じるようになりました。
『競技エイム』と出会い、衝撃走る。心の健康が少し戻る
FPSゲームの中でも、立ち回りやチームとの連携を一切排した「純粋な個人のエイム力」だけを競う分野を『競技エイム』『競技エイミング』といいます。病んでいる時期に、衝撃を受けます。
ベッドの中でもtwitterを開くことはできるもので、その日もTLをパトロールしていました。
たまたま化け物競技エイマーたちのクリップを見つけてしまったのです。
「いや、うっっっっっっっっっっま」
「こんなヤツが世の中にはいるんか」
これが私の感想でした。クリップというある種の”上振れ”ではあるものの、一般的なFPSタイトルのプロの上振れと同じかそれ以上に美しいエイムをしていたのです。
こんなの見せられたら自分も負けてられないと思うのが私の性格なのでしょう、不思議なことに少しずつ物事にやる気が戻ってきました。
偶然のショック療法だったんですね。
<現在>「色々あったし、救われたし、ブログで情報発信でもするか」
ゲーマー✖京大生✖兄弟児、そこらへんにはいないレアキャラなんじゃないか?と思い、このブログ「eスポーツ研究所TRY」を作りました。
ドメイン名のe-laboratryは「laboratory:研究所」にしたかったのですが、もう取られていたのでちょっとモジってこれにしちゃいました。何事も挑戦する気持ちが大事ですよね(こじつけ)
これまでの経験や、eスポーツなどの自分の好きなことについて情報発信をして、社会とつながろうというのが目的です。
誰かのお役に立てれば幸いです。
将来的にブログから収益を上げようと考えていますが、良質な情報を第一に発信します。(小銭稼ぎをしていたら、「あ~、お金に困っているんだな」くらいに生暖かく見守ってください。)
おわりに
この記事をここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。
それでは、次の記事でお会いしましょう。
さよなら~~~~